海外来て日本人であることを意識する瞬間とは?ロサンゼルスで出会った日本人の話 | 留学・ワーホリ・海外留学・語学留学は留学ドットコム

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海外来て日本人であることを意識する瞬間とは?ロサンゼルスで出会った日本人の話

公開:2019/12/04 著者:西山 僚汰 1149 Views

日本にいながらにして、「日本人」という言葉を意識して使い出したのは、日本の長い歴史の中で言ったら最近のことだろう。

それは近年沢山の外国の人達が日本に来出したからで、今大阪や東京に行ったら、恐らく日本語以外の言語を嫌でも耳にするだろう。「東京」を「TOKYO」という表記で目にすることが多くなった今だから、「日本人」という意識がおのずと強くなってきた人も多いはず。

では、そうなる前はどうだっただろうか?

 

外国に来た日本人は、外国に来て初めて自らのアイデンティティとして「日本人」だということを強く意識するようになっただろう。

 

今まで同じ文化、肌の色、目の色、ひいては髪の色をした人達と生活してきたのだから、日本にいて自らのアイデンティティを意識しないのはあまり不思議なことじゃないと思う。

それが肌や目の色はもちろんのこと、音楽までのルーツも違う人間に囲まれる状況に飛び込んだら、やっぱり「あぁ、自分は『日本人』なんだ。」と感じるものである。

自分も初めてアメリカに来た時、自然と事あるごとに会釈やお辞儀をしていた自分に気が付いて、そんなことを感じたのを覚えている。もちろん今でも、少しシャイになってしまった時や、集合時間より早く、1番先に集合場所に到着したりすると、ああやっぱり自分は日本人だと思うわけである。

 

そして、そんなようなことを感じた似たもの同士は、不思議と集まってくるものである。ロサンゼルスに来て約五ヶ月、気付いたら周りには日本人の友達が沢山いた。

 

同じ文化やルーツを持った人は、やっぱり共鳴するらしく、もちろんすぐに打ち解けた。差別をするつもりは全くなく、黒人や白人、メキシカン同士がそれぞれで固まることが多いのは、同じ文化を持っているから、至って普通なことだと思った。

ただ、アメリカで育った彼らと自分達の大きな違いは、自分達ははるばる日本からそれぞれ来ているということ。

だから仲間意識や当然強くなっていくのである。

 

ロサンゼルスに来て、幸運なことに本当に早い段階から沢山の素敵な日本人の方と知り合うことができて、凄くお世話になっている。

 

自分の知らないことを教えてくれるのはもちろんのこと、沢山の学びをくれる。そして、それぞれにロサンゼルスに来るまでにも沢山のことを経験して、考えて来ているから、多様なバックグラウンドを知ることは本当に刺激になる。

どんな人も、日本で生活していたら接点がなかったような人ばかり。だけどそんな人達ほど話していくと面白い。

と言うことで、今週はロサンゼルスで出会った日本人の話。実名は伏せて話させてもらうけど、きっとこれを読んだら彼らのことが近く感じるはず!

語学学校で会った人

自分は今語学学校に行っている。ダンスを長期で学ぶには、学校に行って学生ビザをもらい、3ヶ月以上ステイするように必要があったからだ。

語学学校には自分のようにダンスを学びにロサンゼルスに来た人、音楽や映画といった他のエンターテインメントを学びに来た人、ただロサンゼルスに憧れてきた人、本当に多様な人が在学していて、日本人だけではなくもちろん世界各国からそんな人達が来ている。

とは言っても、やっぱり日本人は沢山いて、自分のレベルのクラスには常に2、3人は自分以外に日本人がいる。学校内を歩いていても沢山の日本人を見るし、日本語は常に耳に飛び込んで来る。

 

だけど自分は、語学学校では日本語をあまり話したくなかった。だって、安くない学費を払って英語を学びに来ているのに、そんな状況で日本語を話すなんてあまりにもったいない気がするから。

 

第一、英語を話せるようになりたいなら、1秒でも英語を話す時間を長くした方がいいに決まっている。だから英語を本気で学びたいなら、相手が日本人だろうがイタリア人だろうが「英語を貫き通せや!」というのが正直なところである。

ただ相手にそれを強要するのは違うと思うので、自分の誰にでも英語ルールは語学学校の中に留めている。(それだけでもなかなかうざいとは思うが。)

そんな調子だからか、学校では日本人の友達より外国人の友達が多い。きっと他の日本人の人は、「なんだよ、同じ日本人同士でぐらいは日本語使えよ、面倒くさいな。」と思っているからであろう。

 

だが珍しいことは起きるもので、そんな自分に英語で(!)話かけてきてくれる日本人が現れたのである。

 

彼女の名前はRさんで、日本から3ヶ月の間ロサンゼルスに滞在して、つい先週に日本に帰って行った。正確な年齢はさすがに聞かなかったが、恐らく20代後半で、凄く落ち着いていながらも、限られた時間で「英語も含めて色々なことにトライしよう!」というエナジーに満ちた人だった。

だから、結局最後までその人とは日本語で話すことはなかった。その人は鹿児島の出身で、仕事を辞めたタイミングで日本に彼氏を残してロサンゼルス行きを決めたという。

映画が大好きで、「昨日はこの映画のロケ地に行ってきた!」なんて学校で嬉しそうに教えてくれたのを覚えている。また、ハリウッドのチャイニーズシアターの前で2時間スタンバイして、レッドカーペットを歩くアンジェリーナジョリーを見たのが今回のハイライトだと興奮気味に(何度も)教えてくれた。

 

クラスも同じだったから、いつも学校では話していたけれど、日本に帰る前のタイミングでコリアタウン近くのカフェで最後に食事をした。振り返ってみると最初会った時に比べて、ずいぶんスムーズに英語で会話できるようになっていて、この三ヶ月間の努力がこちらまで伝わってきた。

「自分ももっと英語勉強しないとなぁ…。」と凄く背中を押された。そのRさんの大好きなところは、彼女のポジティブさである。どんなことでもトライして、どんなところにも気になったら行ってみる。

きっと人には見せないところで悩んで、考えているんだろうけれど、とにかく前に進んでいたのが印象的だった。

 

これから日本に帰って何をする予定なのか聞いたところ、まずは新しい仕事を探して、これからまた海外に行く術を考えるとのこと。

これから結婚も考えたいし、でも海外で生活するのは夢だし、海外支店があるようなところに就職できれば両方上手くいくかな?なんて考えていたりして、勢いだけじゃなくてしっかり考えているところも凄く大人だなと尊敬した。

自分みたいな若造の話も熱心に聞いてくれて、最近のダンスの調子がどうだとかいうのもしっかり聞いてくれていたから、本当に大人な人である。

 

Rさんはいつも何かを学ぼうとしていて、学びに貪欲だった。

 

そんな姿は自分の学ぶ姿勢をより良いものにしてくれた。

彼女とはまたどこかで会いそうな気がしている。

 

先輩の友達

そう、この先輩とはこのコラムによく登場するあの先輩だ。もうお世話になり過ぎてどうしたら喜んでもらえるか分からないから、この間の先輩の誕生日はアーバンアウトフィッターズ(北米を拠点とするファッションセレクトショップ)を何軒か周って、先輩が好きそうな日記やら何やらをプレゼントさせてもらった。

いつもお礼をすると、「大丈夫だから。死にそうになったら助けて!」と笑いながら返してくれるところもひたすらにかっこいい。

きっと世の8割の男性よりよっぽど男らしいと思う。だから先輩より男らしい人はそういないだろうと思っていたが、そんな先輩の友達も、やっぱあり男らしくてかっこよかった。

 

その先輩の友達はAさんといって、27歳で大阪出身の「男前」な人だ。「イケメン」なんてカタカナで表せるタイプではなくて、日本男児なんて言葉が良く似合うタイプというとイメージしやすいだろうか。

いつもAさんと会う時は先輩と一緒に三人で会っている。お互いの家が遠かったりするのもあり、なかなか二人で会うことはなかった。だが先日は月曜日が休日で、お互い学校もなかったので、ようやく二人で遊ぶことができた。

その日は午後から会って古着屋を巡り、その後はAさんの友達と合流して夕飯を食べようというプランだった。そもそもいつも自分は常にダンサーに囲まれていているから、ダンサーじゃない人と遊ぶのは下手したら日本を出てから初めてかもしれない、といった具合だったのでそれだけでも嬉しかった。

 

Aさんがマイヤの曲を爆音で流しながら、ベンチュラに向かって車を走らせてくれた時からもう楽しかった。音楽のセンスも抜群で、良い音楽をバックにテラスハウスの春花はアリかナシかなんて話をしていたら、あっという間に目的地に到着。

Aさんは服のセンスもいつも抜群で、それがほとんど古着で出来上がっているというのも更に驚きである。お互いお目当ての物を探し当てようと何軒か周っているうちに、やっぱり何でロサンゼルスに来たかとか、日本でどんなことをしていたかという話になった。

Aさんは日本で学生時代にテニスを長くやっていて、大会で結果を残す程の実力だったが、怪我のためラケットを置いた。その後、数年社会人として営業をやっていたらしく、売り上げ成績も良かったものの、「これだ!」と思うものではなかったという。

 

「あんなん適当なこと言ってたら売れるねん。ただその『適当』も一流の『適当』じゃないとないとあかんねん。」なんてサラッと言ってた言葉からも、どんなことにも全力だけど、肩の力を抜くことを忘れないAさんの姿勢が伺えた。

「死んだように生きていた。」という日本での社会人生活の合間に、ニューヨークやサンフランシスコに短期で行っては、英気を養って生き返っていたという。

そしてある時、ロサンゼルスに長期留学することを決意して、退職してこっちにきたのが3年前だという。なかなかに波乱万丈な人生だと思っていたが、Aさんの友達と合流してからはそんなものはまだまだ序の口だったということに気付かされた。

 

合流したAさんの友達二人は、語学学校で仲良くなったり、人伝てに出会ったりと様々。ここには詳しく書けないのだけれど、最初の2年間Aさんはとにかくやんちゃしていたらしい。

ここに書けないのが本当に残念で仕方ないんだけれど。興味がある人は個人的に連絡下さい。(笑)

それもかなりぶっ飛んでいて、普通ならしないようなことをし続けていた2年間だったという。

 

それが最近になって落ち着いて、今ではめちゃくちゃにみんなの兄貴である。そんなAさんはとにかく顔が広い。Aさんの友達も別々なところから繋がっているし、彼の名前を出すと、「Aさんの知り合いなのか!」といったように初対面でも話が早かったりすることもしばしばある。

どうしてそんなに顔が広いのかと思っていたら、本人曰くとにかく遊んでいたからだという。「俺は遊びからしか物事を学んでいない。」って前にも言っていて、遊びからでそんなに学ぶことができるって凄いなぁと見習っている。

そりゃそんなポジティブな姿勢で遊んでいたら、友達も増えるよなぁ。じゃあ、どんな人と普段遊んでいるのか。聞いてみると本当に色んな人と遊ぶけど、仲良くなるのは案外自分とは全然違うタイプの人だったりするそうで、これまたびっくり。

 

いや、思い返してみたら自分もそうかも知れない。だからこうして、何でもプランを立てたがる自分みたいな人間と、思い付いたら即行動のAさんとで遊んでいるのかも知れない。

 

普段スケジュールが合わないし、自分もダンスばっかりしているからこうして人ととにかく遊ぶのもたまにはいいものだなと思うと同時に、そんな人達と出会えるのってラッキーなことだと感謝の気持ちで溢れた1日だった。

Aさんの友達の家にあるファイヤースポットを囲みながら、異性の話、日本での生い立ち、これからの話なんかをしていたら、気付けば午前1時を回っていた。コリアンタウンからわざわざ皆で、自分が住むノースハリウッドまで車で送ってくれる優しさが、夜の寒さなんて吹き飛ばしてくれた。

自分でもよっぽど幸せだったんだろうな。気付かないうちに何回も「楽しかったぁー。」と言っていたらしく、Aさんから「お前、普段そんな楽しくないんか?」と笑われた。

 

元ルームメイトの人

毎週このコラムを読んでくれている人にはもうお馴染みだろう、ノースハリウッドの逆テラスハウスこと我が家。このシェアハウスには色んな人が代わるがわるステイしに来て、本当に短いと1ヶ月間とか、長い人はもう2、3年暮らしてる人とか、本当に多種多様な人がステイしにくる。もちろん、仲良くなる人もいればあまり話さずに出てく人もいるけれど、総じて皆少し変わっていて、いい人だ。

このルームメイトの人は2ヶ月ほど前まで、1ヶ月ぐらいステイしていた女性だ。年齢は30歳少し前とか言っていた気がする。日本の企業に少し前に就職して、ロサンゼルスのダウンタウンに一年程勤務することが決まってここに来たそうだ。

日本で最近就職するまで、どんなことをやっていたのかも教えてくれた。それまでに世界各国を女友達と一緒に、場合によっては一人で旅行していたそうだ。

 

学生の頃はそこまで社交的なアウトドアなタイプではなかったそうだけど、一度海外に行ったら弾けたという。

 

それがひとまず気持ち的にも落ち着いたところで、日本での就職を決意したというから本当に行動力がすごい。それでも海外で味わった感覚を忘れたくなくて、なんとか海外で働ける会社はないものかと探して見つけたのが今の会社だったそうだ。

ここまでの紹介でも波乱万丈なのだが、彼女の性格はこの話の印象とは裏腹にかなり落ち着いて、物静かな人だった。見た目とは裏腹に、スケートボードやバイクをガンガン乗っていたり、それでガンガン怪我したり、凄く面白い人だなあというのが第一印象だった。

話していくうちに凄く印象に残ったのは、お互い自己紹介をしていく時に凄く興味を持って聞いてくれていた姿だった。もちろん自分も、彼女の話や経験を沢山聞きたくて質問をしていたけど、彼女はそれを上回るスピードで質問をしてきてくれていたし、ここまでのマイケルジャクソンが好きで、ダンスをやっていて…という話を凄く真摯に、感動して聞いてくれていた。

 

自分は10歳近く年下の人から、あそこまで素直に感動して受け入れられるだろうか。凄く優しくて、心の広い人だと今でも思う。

 

彼女は「英語があまり得意ではないから、なるべく話す時間を増やしたい。」と言っていたので、自分も丁度英語が話したかったのもあって、家でも英語で会話することにした。

彼女は凄く好きで聴いていた、深夜ラジオを聴くのを控え(自分だったら絶対できない!)たりする程ストイックなのは驚いた。

 

そして、その姿勢をずっと貫いて、一ヶ月間英語を貫き通していた。

 

その意思の強さと行動力は凄く尊敬している。最近めっきり連絡取らなくなってしまったけど、今度連絡してみようと思う。

 

海外に来て他人に目を向ける気持ちが芽生えた

ここには、ロサンゼルスで出会った全ての日本人や全てのエピソードを書くことは出来ない。

だけど国を超えて、遥々ロサンゼルスまでやってきた人は、やっぱりそれぞれにバックグラウンドがある。日本にいる人でももちろん、それぞれにやってきたことはあるはずだ。

 

じゃあ、なぜロサンゼルスに来てから、そこまで他人に興味を持てて、向き合おうと思うのか?

 

それは「海外に来ている」という意識がそうさせるのか、ここに来ている人達が面白い人達なのか。

それは誰も分からないし、恐らく答えは自分次第だろう。

ただ、他人に目を向けることでこんなに豊かな気持ちになるのを知ってしまったのだから、これはどこに行っても変えることは出来ないだろう。

 

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