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カテゴリー:学校の選び方

【アメリカ高校留学】高校時代の3年間を過ごした田舎町のバージニアには何がある?楽しかったこととは?

公開:2020/06/16 著者:西山 僚汰 156 Views

バージニア時代を思い出す度に、人生は予想していない出来事の連続だと思い知らされる。逆に、予想していることはどれくらい起きているのだろうか。

おそらくそれらの殆どは、あまり良くないことか、「学校に行かなくてはならない。」みたいな義務的なものだった。

 

自分は16歳でアメリカに行くというのは全く予想していなかった。

 

「いつかは行ってみたい。」という漠然とした憧れは、洋楽やマイケルジャクソンに興味を持つずっと前から、小さい頃からなんとなく「やってみたいことリスト」には入れてあった。

ただいつしかそのリストには「コンビニの高めのケーキを食べる。」とかいう身近かつ呆れてしまうようなものから、「友達とだけでディズニーランドに行く。」という田舎出身の当時の自分たちにとって一大イベントのようなものがどんどん書き足されていった。

子供の時に憧れたものを大切に持ち続けている人は、それが実現できなかったとしても、どこかで「まぁやっぱりそうだよな…。」と納得するのではないだろうか。

 

留学の提案を母からしてもらった直後は、かなり戸惑った。そんなことが経済的に可能なのかとか、そもそも可能だったとしても自分の実力的に可能なのかとか、色々なことが頭をよぎった。

埼玉の片田舎で育った自分の周りに留学をした人なんてもちろんいなかったので、「留学」なんて「タイムトラベル」と同じくドラマや映画で使われる単語だと思っていた。

そこから自分を立て直したのは、子供の頃の漠然としたアメリカへの興味だった。今まで埃をかぶっていたその「やりたいこと」は、そこにきて突然存在感を放ち始めた。

 

もちろん11歳から自分は洋楽にどっぷりハマっていたし、友達から勧められた海外ドラマ「Glee」も観ていた。

ふと気付けば、アメリカに囲まれていた。ここでやっと腹が決まった。ロジカルに考えた末、「好きなものは強い!」というなんともシンプルな結論に至ったのだ。

その当時、まさか「Glee」がきっかけで仲の良い友達が出来ると思いもよらず、家族からうざがられても聴き続けた洋楽が沢山の人と繋がるのをグッと早くしてくれた。

 

その時はただ好きなだけでやっていることも、いつ自分や周りを助けてくれる強力な武器になるかはわからない。そう考えると、くだらないことなんて本当に一時的なもので、長い目で見たらくだらないことなんてないのかも知れない。

そういえばロサンゼルスの先輩が、「若い頃ナンパをしまくったおかげで、初対面の人でもその人のタイプが挨拶でなんとなくわかるし、会話は基本誰とでも持つようになった。」と言っていた。

突如時間ができた今、バージニアでの出来事や体験をシェアすることで自分も何か「今なら役立つもの」に気付けるかも知れない。これまでロサンゼルスのことばかり書いていたので田舎サイドの生活がどんなものかもシェアしたいと思い、今週はバージニアについて触れてみたい。

そもそもなぜバージニア?

 

この質問は、本当によく受ける。答える回数が増えるにつれて、だんだんとそれも板についてきた。今では、アイドルの自己紹介並みにすらすらと答えることが出来る。

ハードルを自分で上げ切ったところで、早速質問に答えると、ずばり「日本人の少ないところ」に行きたかったからだ。

と言うと、相手はなんだかまだ物足りなさそうな、まだ大事なことを聞いていないと言った顔をするので、自分は「あ、ワシントンD.C.の下の州ね!」と付け加えるのが定番。

 

 

そう、さすが日本人があまりいない州だけあって、名前だけスッと言われても一体どこにあるのか分からないという人が殆どだ。

もし話している相手がヒップホップ好きであれば、「クリスブラウンとか、ファレルウィリアムス、ミッシーエリオットの地元」というウンチクを付け加えると、ようやく相手は「へぇー!」と少し明るい顔になる。

ちなみに、友達のお父さんがバージニアビーチでファレルを見かけたことがあるそうで、車屋さんにどでかいボディーガードと一緒にいたらしい。確かにね、ファレルは強そうなタイプじゃないもんね。

 

もし話している相手が歴史好きであれば、「アメリカの州の中で、最も歴史が長い州の一つで、南北戦争では丁度南北の境界線があり激戦区だった場所」と教えてあげると、「ほぉー!」と感心してもらえるし、少し学があるように見られる。

自分も沢山の博物館には、学校のアクティビティや、ホストファミリーとでよく脚を運んだ。さすが歴史が長い分、昔の服、食器や農工具、あるいは建物なども結構残っている。

正直自分はあまり歴史に詳しくもなければ興味もないので、高校生が来る場所じゃないなと思っていた。語学学校のあったウィリアムスバーグは、南北戦争での一番の激戦区だったらしく、それに関する資料も沢山あった。

 

とまぁここまでがよく答えるパターンで、そもそもワシントンD.C.ってどこという人には雑に「ニューヨーク側」と答えることにしている。その人たちの反応を見るに、どうやら答えは細かければ良いというわけではないらしい。

確かに、日本人が少ない方が英語の習得は早いだろうと思っていたし、それには田舎の方が良いだろうと思っていた。だけど中途半端に田舎かつ都会の埼玉で育った自分にとって、都会にアクセスし易い場所に住みたいと思っていたのも確か。

いくらワシントンD.C.の下と言ったって、車で数時間かかるので、県をまたぐのとは訳が違う。最初は今自分がいるカリフォルニア州が自分の中での第一候補として、漠然と胸にあった。

 

しかし、まずは英語のテストを受けなくてはいけなくて、そのスコア次第で行ける学校(=住む場所)が決まってくる。笑えてくるようなスコアで惨敗した1回目の6ヶ月後にリベンジして、そのスコアから出願できる留学候補地は3つあった。

1つ目はもちろんバージニア、2つ目は失念してしまったが確かアメリカ中部の田舎の州、そして3つ目がなんとカリフォルニアの学校だった。

そこで自分はやっと6ヶ月の地獄の勉強の日々がようやく報われたような気持ちと、もうこれは運命だと思い込み、カリフォルニアの学校のことしか頭になかった。今でもその資料に写る白人の少年の白い歯が頭に浮かぶほどだ。

 

そして当たり前なのだが、都市部の方が物価も高ければ学費も高い。他の2つの学校に比べて、カリフォルニアの学校の学費は2倍以上だった。

ここで父と相談をした結果、3年間の高校生活の費用が払えるかどうか分からないリスクを取るよりも、確実に3年間過ごせる場所に留学して、全力で英語を学んだ方がいいという結論に至った。

あまり満足ではなかったが、確かにこればかりは仕方がないといった気持ちで残り2校から絞ることに。正直、バージニアに決めた理由はこれと言ってなかった。

 

確かに「ワシントンD.C.の下」というキラーワードがここでも活躍したが、実際にそこに住む訳ではないので日本にいる時のように都会にアクセスしやすい訳でもない。中部も東部も、どちらも田舎だしどうしようかと思っていたが、本当に「なんとなく」バージニアを選択した。

ここで放物線を描いた綺麗な「なんとなく」がゴールを決めた。これには自分でも、こんなにフィーリングで決めて良いものなのかと驚いた。後に分かったことだが、この時もらっていた学校の資料に今の友達が沢山載っていた。

まさか自分の同級生となる人たちが載っているなんて思いもしなかったし、このことを後から友達に伝えたら、「自分たちの写真が日本の知らない人たちに見られると分かっていたら、もっとマシな格好をしてきたのに…。」と言っていた。不思議なことは、本当に起こるものである。

 

バージニアには何がある?

バージニアに興味を示してくれる優しい人は、大体の割合で「バージニアには何があるの?」と聞いてくれる。きっとクリスブラウンの出身地だということで興味が湧いたのだろう。いや、歴史の方かな?

ともあれ自分は、「特に何もありませんが、それがいいところです。」といつも正直に答える。もちろん、自分だって3年も高校生活を過ごした思い出深いところだから、誰もが行きたくなるような、目が輝くような長所を教えてあげたい。

だけれども実際何もないのだから仕方がない。最寄りのセブンイレブンまで、家から車で10分行かないとたどり着かなかった。しかもそれは直進の多い道なので、距離にするとなかなかである。

 

歩きなんてもっての他だし、自転車で行こうにも歩道がないので車を気にしながら車道を走るしかない。そんなライダー泣かせの道だから、たまに見かける彼らはママチャリなんて可愛いものではない。

オフロードをガンガン走り抜けるためのマウンテンバイクに乗って、いかついヘルメットと蛍光色が眩しい細身のサングラスをかける、いわゆる「ガチ勢」である。

だが、ここではそんな状況を不便と思っていてはナンセンスなのである。それはアラスカに行って、寒いと嘆くぐらいにナンセンス。

 

なぜなら、その距離感こそ、バージニアの良さの一つだからだ。

 

何もないけど、距離はある。なので今このコロナパンデミックにおいて、バージニアは自己隔離しやすいとも言えるし、誰かが「密です!」と言うこともないだろう。正直、日本で生まれ育った自分たちにその距離感を掴むことは、なかなかに難しい。

わかりやすく言うと、日本の縮尺の5倍の感覚と思ってもらうといいだろう。こうしてスペースを持つことは、心の余裕にもなり得る。車を走らせて自分の家に入る前に、自分の敷地に入る感覚。

花火を上げようが、飼い犬が騒ごうが、爆音を流そうが、家同士が離れているため、都会のそれ程ご近所トラブルにはならない。実際、ホームステイ先のご近所さんはまさにそんな状況だった。

 

→ バージニア州は距離感が広くて遠い。

 

だけど不思議と、「またやってるなー。」と思うぐらいで、こちらはあまり気にならなかった。

きっと同じだけの音量が日本の家にいる時や、ロサンゼルスの家にいる時に聞こえてきたら、正直一回は舌打ちをしてしまっていただろう。それほど、物理的な距離は心に影響するらしい。

 

それだけの距離を埋めるものは、木々や大地、湖や畑だ。地平線なんて、バージニアに行くまで見た事がなかった。

 

空があれ程に大きくて、木々はあれ程生い茂るものとは知らなかった。関東の田舎とは訳が違うのである。見渡す限り、ただただ自然。よく、自分の悩みがちっぽけに感じるとか言うことを聞いたりするけど、「俺の悩みは自然より大きいよ!」と思っていた自分を、バージニアの大きな葉っぱで引っ叩いてやりたくなる。

登校の時にチラッと、だけどすごく眩しく湖から見える朝日、友達と遊んだ後に見る黄色と赤の絵具を空で混ぜたような夕焼け。今思うとこんなに綺麗な自然は他のどこでも見たことがない。

家まで続く一本道を夜通ると、プラネタリウムなんて目じゃないほどの物凄い数の星が見える。本当に、頭上にドームがあるように星たちにすっぽり覆いかぶされている。

 

遥か昔の人たちは、毎晩こんな夜空を見て物思いにふけていたのかと思うと、なんだか時間までも超越してしまったような不思議な気持ちになる。

 

そして自分の影は、街灯からの光でもなんでもなくて、ただ一つの月明かりなのだ。

何もないということが、沢山ものがあるということよりも魅力的に思えるなんて思えたのは、バージニアの魔法のおかげだと思っている。

 

バージニアで楽しかったこと

自分は、「その時を楽しむ。」ということが長いこと苦手だった。確かに好きなことをやっている時や友達といる時は楽しいが、いつも頭のどこかで「この先の楽しみ」を考えていて、それとセットで「楽しんで」いた。

だからジェットコースターに乗っているとしたら、目の前の景色の「今」の楽しみ、プラス最後に落ちるスポット、それとこの後に見るショーの「これから」の楽しみを足して楽しんでいる感じ。

小さい頃は、それが普通だと思っていたし、なんならそれが小学校の間は疑問にすら感じなかった。だが中学に上がったある時、きっかけは分からないがなんだか「それって何かが違う。」という漠然とした疑問符が頭の中をぐるぐる周り始めた。

 

きっとこの楽しみ方だと、今を全力で楽しめていないんじゃないか。そう思い始めたが、その習慣からどう抜け出せば良いかは分からない…。どうしても先のことを考えてしまう。モヤモヤするが、その時はそれを寝かせてしまったまま、アメリカに旅立った。

正直、渡米直後は楽しむなんて余裕は微塵もなく、初めての飛行機、寮生活からホームステイ、アメリカ人と英語での会話、全てに緊張して戸惑う日々が続いた。だが人はいれば慣れていくし、学習していくものである。

高校生活も2年目、慣れるのに時間がかかってしまったけど、もう英語での会話にも慣れて、大体のことは友達に聞けばなんとかなるぐらいに思えるようになっていた。それからの年は、友達と遊ぶこともぐんと増えて、今まで行ったことのない場所にも沢山行くようになった。

 

→ 高校時代の友達は、朝からモールに連れて行ってくれた。

 

サーフォークの小さなダウンタウンには、ジョージアとよく行った。いつもレストランの良い匂いがしていたし、その近くの図書館に行って友達のおすすめの本を借りては、彼女の家でボードゲームや料理をするか近くの公園を散歩するのが定番だった。

ダイアナとはその辺のスターバックスは大体制覇していたんじゃないかというぐらい、スタバのドリンクと共に毎週学校に早く行った朝は彼女の車の中で、メイクする彼女を横目に学校の先生の愚痴や、最近聴いている音楽などのくだらない話から、人間関係や未来についての深い話もした。

運転するのが好きなケートリンは色々なショッピングモールに連れて行ってくれた。お互い異性の洋服屋さんに入るのに抵抗がなかったので、これは男子・女子受け悪そうだとか言い合いながら色々なお店を見た。

 

彼女の大好きなフライドチキンサンドウィッチのチェーン店、チックフレ(Chick-Fil-A)にもよく行ったな。

中でもチェシピック(Chesapeake)にあるグリーンブライアーモールは新しいお店がどんどん出来ていたし、ペットストアに入るのも定番だった。

その近くにあったCloud 9というトランポリンパークでは、クタクタになったけど子供たちに混じってひたすら跳ね回って楽しかった。

 

カールとは、一緒にフェリーに乗って彼の通う大学を案内してもらった。大きなフェリーに車を乗せて、湖を渡るのだ。海なんじゃないかと思うくらいに大きな湖に、アメリカの大きさを思い知らされた。

マイケルとはもっぱらスニーカー屋巡り。壁一面にディスプレイされたスニーカーを試着しては次の店へ。一緒にBig Seanとかのいかついヒップホップを聴きながら、女の子の話もしたなぁ。

こうした日常の全てが、本当に楽しかった。そして気付けば、時間はおろか明日の予定、お腹が減るのも忘れて楽しんでいた。

 

→ フェリーから見た太陽。やっぱり大きい。

 

バージニアの日常と素敵な友達は、自分に「今の楽しみ方」を教えてくれた。

 

バージニアには、何か特別な観光スポットや名所があるワケではない。しかし、日本では体験できない時間を過ごすことができたことは伝わったのではないだろうか。

具体的にバージニアの素晴らしさを伝えられないことはもどかしいが、自分がバージニアで過ごした3年間の空気感が伝われば幸いだ。

案の定、一週間でバージニアを語り尽くすことは出来なかったので、後半は来週に!

 

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