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カテゴリー:学校の選び方

【アメリカ高校留学】高校時代の3年間を過ごした田舎町バージニアの便利なところと不便なところとは?

公開:2020/06/29 著者:西山 僚汰 832 Views

最近、日本の流行りと同じようにこちらアメリカでもよくZoomが使われる。自己隔離生活の強い味方となってくれているZoomだが、それでできることはビデオ通話がメインという至ってシンプルなもの。

それが今やダンサー界隈では、「オンラインレッスン」として使われている。そのダンススタジオにお金をオンラインで支払うと、Zoomで参加するために必要なコードが送られてくる。そのコードを打ち込むと、自分には先生も見られるし先生からは自分も見られるのだ。

正直、当たり前だけれど自分はオンラインレッスンよりも実際のレッスンの方が好きだ。自分からしたらその先生が教えているスタジオは、いつも自分が行っているスタジオである訳だし、そこで実際に教えてもらえた方がいいなと思ってしまう。

 

でもそれは自分がロサンゼルスに住んでいるからであって、この距離感というのは決して当たり前ではないのだ。

 

ロサンゼルス以外に住んでいる世界中のダンサーは、時差はあれども本場でしか受けられないレッスンを自分のいる場所から受けられるのである。それは多くの人にとって嬉しいニュース。

もし自分がロサンゼルスにいなかったら、日本からでも受けていたんじゃないかと思う。ロサンゼルスに行って支払う17ドルのレッスンと、日本からオンラインで受けられる10ドルのレッスンと考えたら、どこか得に感じて受けていたんじゃないかな。

こういうオンライン社会になってくると、今自分たちがどこにいるかなんてそれほど重要じゃないんじゃないかと思い始めている。誰かと会話するとか、コミュニケーションを取ることはもちろん、ダンスレッスンまで出来てしまうんだから。

 

バージニアの友達に電話するまで、そんなことを思っていた。だけど電話をしてから思ったのは、「テクノロジーで距離が近くなる程、実際の距離の違いを強く感じる。」ということだった。会話に出てくるお店の名前は、自分が高校2年の時からあるローカルかき氷(英語でSnow corn)屋さん、全く場所の変わらない、いつも行っていたスターバックスや古着屋さん。

今でもそれぞれの場所が目に浮かぶ程、「きっとそのままなんだろう。」と思っていたら、本当にそのままだと言う。東京であったら、2ヶ月行かなかっただけでどこかのお店が閉まって、新しいお店がオープンしていたりするのはザラなのに。

3年ほど経った今でも、景色は変わらない。ある意味高校時代のタイムカプセルが、街を呑み込んだかのごとく変わらない。そんな懐かしい話をしていたら、友達が「そろそろ寝なきゃ。」と言ってはっとした。

 

ついつい高校時代のような感覚で話していたけれど、今では自分と友達の間には3時間の時差がある。同じ国内でも時差があるなんて、アメリカって本当に大きいなと感じる。友達が見せてくれた時計を見ていると改めて距離を示された気がした。

急にバージニアが恋しくなった。バイバイを言って、パソコンを閉じると、実際の距離って遠くても近くても、見えないけれど受け入れなくちゃいけない大切なものなんだなと思い知った。

Zoomから思わぬことを学んだ今週も、高校3年間を過ごした第二の故郷バージニア特集です。

田舎の良いところ

 

最近気づいたのが、自分は「田舎」という言葉自体に良いイメージを持っていなかった。それは埼玉県民の「都会への憧れ」から来るものなのか、「シティボーイ」というかっこいい存在への憧れからなのか、正直あまり分からない。

だけど小さい頃から田舎をあまりよく思っていなかったし、自分の住んでいる場所を「田舎です!」と胸を張って言えるおばあちゃんとかおじいちゃんの気が知れなかった。自分だったら絶対「えっと、まぁあんまり言うのもアレなんだけど、一応田舎?みたいな感じ。」とか言っている。

モジモジし過ぎだし、「アレってなんだよ。」と言ったものである。だけど3年間、地平線が見えるほどの田舎に住んでからは、堂々と「田舎です!」と言える。それは紛れもない田舎だから誤魔化しようがない。

 

田舎にも良いところが沢山あることに気づいた。ここまで振り切った田舎だと、良いことが見えてくるらしい。

 

まず、空気が美味しい。一発目にして弱いと思わないで欲しい。想像してみて欲しいのだけれど、朝眠い目を擦って仕事なり学校なりに行かなくてはならない。まだ空も紫がかっていて、地球ですら寝起き。

そんな時に玄関を開けて鼻からす~っと入ってくるのが、キャンプ場や森、大きなお寺や公園で嗅いだ新鮮な緑の空気だったら、いかに気持ちがいいことか。日本で嗅いだと思っていた澄んだ空気の、鮮度200%増しといったところである。

これが毎朝自分の目を覚ましてくれると思ったら、なかなかに贅沢じゃないだろうか。空気が綺麗ということは、喘息やアトピーなどの病を患っている人からしたらかなり大きなメリットだと思う。

 

もっと言うならば、「自然と共存している。」という意識を持つようになったことも大きなメリットだと思う。

 

都会の中に暮らしていると、周りは人間が作ったものばかり。舗装された道路に張り巡らされた線路。ビルや大きな建物に入って、木で出来た机に向かう。これらは人間が力を加えて作ったもので、そういったものばかりを見ていると木や土、真っ赤な夕焼けを見るスペースすらない。

だけど実際は、大きな自然の中に人間を含めた生物は生かされている。自分がこのことに気が付いたのは、高校留学1年目の冬。バージニアは日本と同じく四季があり、夏はじめっとしているけれど冬は乾燥している。

そして、やっぱり雪が降る。「今年は雪、降らないのかなぁ」なんて噂をしていたら、「いやいや」と言わんばかりに突然降った大雪。かなり積もっていて、10センチぐらいはあったんじゃないか。そうなってくると、道路も滑りやすくなってしまう。

 

大きな道路は整備が行き届いてなんとか走れる状態だったけれど、森や林の中に作られた細い道路が多過ぎて、全ての道路の整備が出来ない状況だった。そうなってくるとスクールバスも走れないし、学校はそんな細い道の先にあるから2週間ほど休校になった。

大きな自然の前では、自分たち人間が作った道路だとか自動車なんてほとんど無力なのだ。道をいくら作っても、凍ってしまったら通れないし、そこに大きな木が倒れていても通れない。テクノロジーで生活は豊かになったけれど、自分たちは絶対に自然をコントロールすることは出来ない。

できることはテクノロジーを使って自然とうまく共存することだけなんだ。それは地球のどこに住んでいても変わらないはずなんだけど、都会に住んでいると忘れてしまう。バージニアの豊かな自然は、そんな当たり前のことを教えてくれた。自然を大切にするのって、自分の家を綺麗に保つのと同じくらい当たり前のことなんだよなぁ。

 

田舎の不便なところ

 

ないものねだりとはよく言ったものである。今手に入らないものや状況、関係を欲するけれど、実際いざ自分がその状況になると、「あの時は良かった」と本当に心から思ってしまう。

こうなってくると、一生幸せになることが出来ない。今の状況を楽しめずにいると、その時逃した何かをずっと追い続けて、ずっと今を楽しむことが出来ないという悪循環にハマってしまう。

だから、どこかで「諦め」や「開き直り」が必要になってくるのだが。正直、自分は田舎で開き直るまでに少し時間がかかった。やっぱり東京に一人で行ける距離に住んでいたから、その都会の感覚はかなり恋しかった。

 

ましてやその当時自分の日本にいるダンス友達は、様々なイベントに行って交流を深めている。そんな様子をSNSで見ると、自分は田舎に取り残されている気分になったりもした。そんな時ほど、田舎の不便なところがよく見える時はない。

今となってはバージニアの友達にも恵まれているから、みんなのおかげで田舎のいいところを挙げることが出来た。今でも1週間ぐらい行ってもいいかもなとも思っている。だけど住むとなったら話は別だ。

先週話した「距離感」の話を別にしても、まだまだ不便なところは沢山ある。まず携帯の電波が入らないところが結構あるということ。この2020年において、5Gで騒いでいる今でも電波が入らないというところはあるのだ。これは田舎の代名詞と言ってもいい問題かも知れない。

 

 

自分は当時(今も)Sprintを使っていて、機種はiPhone6sを使っていたのだが、ほとんどの場所で電波を拾うことが出来た。もはや懐かしい3Gの電波しか入らない場所もあったが、基本的には4Gで使うことが出来た。

これはどの携帯の機種を使っているかにもよるとは思うが、基本的に4Gは使えると思う。アメリカは地区によってどの携帯会社の電波がよく入るか別れるのだが、自分はSprintを使っていてあまり不便に思ったことはない。

どの携帯会社でも基本的に使えるが、時々「あれ、なんか電波入らない。あ、きたきた。」と言った瞬間があるぐらいなので、そこまで神経質にならなくても大丈夫そう。それでも心配という人は、留学する地域の電波状況を調べてみると安全。

 

だけど友人のジョージアの家ではSprintの電波がめっきり入らなくて、しかもWi-Fiもないものだから自分からしたら陸の孤島状態だった。ジョージアの携帯はAT&Tだったようで、その電波は入っていた。なんとも不思議な状態だが、そんなことも余裕で起きる。

そんな状況だと、もちろん大概の家のWi-Fiは遅い。ホストファミリーの家は一番良いWi-Fiのルーターを買っていたみたいだったけど、それでもたまにYouTubeは480pまで下げないとスムーズに観られない状況だったりした。

ホストブラザーがXBoxをWi-Fiに繋いでいたのも関係していたとは思うけど、Wi-Fiにはあまり期待出来ない。一度MacBookをアップデートしようと思っていたら、丸々一晩かかった。その時は田舎のバッドコネクションにさすがに戦慄した。

 

学校などでWi-Fiを使える状況なら、そういったところを利用するのが無難だろう。

 

ちなみにジョージアはWi-Fiが家になくても、いつも図書館で本を読んでは作業をしての繰り返しだったので、図書館のWi-Fiを使っていたらしい。高校生にしてノマド族だったのか。

もう一つ不便なところを挙げるとすると、日本のように「ちょっとした買い物」が出来なかったところ。自分が車を持っていないということも大きく影響したが、少しシャーペンの芯を買いに行こうと思っても、日本みたいにコンビニに歩いて行くことは出来ないのだ。

つまり、沢山の小さな買い物をまとめてする必要がある。あの時ほど日本のコンビニに感動したことはない。あんなに痒いところに手が届くチェーン店はないんじゃないか。

 

もちろん、アメリカの田舎でもウォルマートやターゲットといった量販店に行けば、食べ物から衣類、家電、本、文房具に薬や掃除用具、さらにはガーデニング用品やクリスマスツリーまで買い揃えることができる。

アメリカは日本にあるような細々した店を一箇所にまとめた量販店が主流なのだ。田舎は気軽に手の届くところにお店が無いのが、日本でコンビニを愛用している人にとってはネックだろう。

「ささっと買い物」が出来ないと、一回一回の買い物に本気で行かなければならなかったのが、割と不便だったのを覚えている。

 

結局、「都会」と「田舎」はどっちがいいの?

もちろん全てを白と黒で分けることが出来ないのは承知の上だが、自分はいつだって中間がいいと思っている。英語でも「Happy medium」という言葉があるくらいだ。意味はそのままで、お互いの妥協点、丁度いい間のところという意味。

だから、自分としては田舎でありながらも都会にアクセスしやすい場所が理想だ。ペンシルベニア州なんかはニューヨークのベッドタウンとなっている場所も多い。家賃がすんごく高いニューヨーク郊内に住むよりも、スペースも持てて家賃もいくらか安くなる郊外に住むというのはとてもスマートな案だ。

では何故、人口密度も家賃も高い都会に今なお人は集まるのか?少なくとも自分は、「自分自身をプッシュするため」だ。高い家賃と物価の中で、人混みに揉まれながらも住もうと思うのは、自分には学びたいことが沢山あるから。

 

自分の場合だと、ダンスでもっと上達したいと思うからだ。ロサンゼルスはいくらか空気がリラックスしているが、ニューヨークに行った時は潮の流れが早い中で、自分が小魚の大群の中に投げ入れられた感覚がした。

自分の目的意識がしっかりしていないと、流れの早い都会ではあっという間に流されてしまう。だから気が付けば自分の目標としていた場所は遥か遠くに行ってしまった…という話を聞いたりもする。意思が弱い人はもちろんそうなってしまうだろうし、自分は意思が強いと思っている人がそうなっても、それは仕方ないとも思う。

世界中から自分と同じ目標を持って、毎日色々な人がやってくる。そして、目につくのは自分よりレベルが遥かに高い人たちと、なかなか結果の出せない自分。自分もロサンゼルスに来てから、毎日レッスンを受けてダンスと向き合う時間が増えた。

 

そんな中で、1回喜ぶことがあったら最低でも5回はそれまでに落ち込んだり悩んだりしている。だからどう、という訳ではもちろんないのだけれど、とにかく都会では色々な意味で迷子になりやすいなぁ…と感じる。

それに都会では、より神経を使う。それは色々なところに機会が転がっているというのもあるし、みんながライバルであるということもある。もちろんみんな友達でもあるし、お互いに刺激し合っているけれど、また別の日はライバルなんだ。

そういう意味で強い友情を育てるのに、正直苦労したし今も苦労している。でも今、親友だと思える人たちとは、自分の弱さをある程度受け入れたからかなと思っている。プライドが邪魔になっていたんだろう。

 

ロサンゼルスで気を張らなくても良くなるまでは、正直まだ時間がかかりそうだというのが心の本音だ。

 

その点、田舎は自分が自然を楽しめるマインドでありさえすれば、すごくいい場所だと思う。確かにその距離感に最初は戸惑ったりもしたけれど、時間の流れがすごくゆっくりで、皆穏やかという印象がある。

それはせわしない都会に比べれば当たり前とも言えるけれど、そこに住んでいる時はそんな穏やかさにすら気づかなかった。バージニアの高校を卒業して日本に帰り、東京で一年仕事をして再度バージニアに戻ってきた時には、その穏やかさが身に染みたのを覚えている。

「こんなにみんな優しかったっけ?」みたいに逆カルチャーショックも受けた。だけど、やりたいことがもう既にあって、もしその場所に行きたいだとか、何かをしたいというのがあれば田舎は少し退屈なのかも知れない。

 

だから、この「都会と田舎、どちらがいいか?」という質問の答えをまとめるとしたら、「やりたいこと次第」とするのが一番だとも思う。

 

都会でしか出来ないことや会えない人種も沢山いるし、田舎でしか味わえない豊かさも沢山ある。どちらを求めるかはその時のタイミングやマインドにもよると思う。

その時の目標や状況に応じて、行きたい場所に行くのが正解なのだと思う。皆さんがこれからの渡航先を決めるにあたって、少しでも役に立てば嬉しく思う。

 

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