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海外留学して変わった「学ぶ」ことの概念とは?

公開:2019/11/06 著者:西山 僚汰 180 Views

「この人学ばないなぁ。」とか、なかなかプログレスが見えない人ってたまにいる。友達とかバイト先でそんな人いるな、と思う人がいるかも知れない。

自分も今まで何回、同じ間違いをする人にもやもやしたことか。そして、恐らく自分も散々周りの人達をもやもやさせたので、お互い様なのだろう。

頭良さそうなタイトルに対してだいぶネガティブな書き出しだが、最近はそんな風にもやもやすることは減った。

 

まず、学んでいない人はいないと思うようになったからだ。

 

どんな悪ガキでテストのスコアが悪い子でも、悪いスコアで先生から怒られない術を「学ぶ」し、頭のいい子の知識を借りることを「学ぶ」のだ。

日本にいる時は、日々の生活をこなすのに忙しくしてしまって、学ぶことをおろそかにしていた気がする。不思議なもので、環境が変わると今までと同じことをやっても見方も変わる。

そう考えると、学ぶって勉強やスキルだけじゃない気がする。…と言うか「学ぶって何?」みたいな哲学的な疑問さえ浮かんできている最近。今週はかなり広いトピックだけど、長く続けるには肩の力を抜かないとだよね…?

ダンスクラスでの学び

日本にいた時はほとんど受けていなかったダンスクラスだけど、アメリカに来てほぼ毎日、数クラスを受けるようになった。そのうちこのコラムでも、ダンスのことに絞ったものを書こうと思っているぐらい、沢山書くことがある。

だから、ここではロサンゼルスのダンススタジオ紹介というよりも、自分自身の体験を書かせてもらおうと思う。

 

・学び方の姿勢

ここに来てから本当に痛感したのが、学び方の大切さ。日本から、そして世界中から来る多くのダンサーは、今まで沢山クラスに行ったりして、クラスがどんなものかとか、どういう風に進んでいくのかが分かった状態だから、ある程度はクラスを受けることに慣れていると思う。

だけど、自分はまず学び方が分からなかった。ただカウントと一緒に動きを覚えるだけじゃなくて、絶対にスマートな学び方があるはずだと思った。もちろんクラスを取るにもお金はかかるし、闇雲にクラスを受けることに興味がなかった。

そこで、どうやって動きを「理解」するか、そして「観察」するかが本当に大切だと学んだ。

 

沢山クラスを受けている内に、やっぱりトライ&エラーを繰り返す。そして、ここでも「自分を知る。」というプロセスが大切だということに気付いた。

 

だって、3歳からダンスをやってきた人と闘うには、自分の今までやってきたことを活かさないと勝ち目がないから。ダンスだけじゃなくても、自分は彼らとは違った人生を一生懸命に進んできた訳だし、それを無駄にしたくなかった。

そこを自分は、学校の勉強が不得意ではなかったことを思い出して、どうやって結びつけられるかを考えた。中学の時、今まで全く興味がなかった社会の授業も、先生が凄く好きでやってやろうとスイッチが入ったことを思い出した。(基本自分は何故かいつも上からだ。やってやろうじゃんマインドが何故か何をやるにも強い。)

最終的に学年トップクラスに定期テストの点数を取れるようになった。社会が嫌いでも、先生が好きなだけで出来たんだから、ダンスだって出来ないことはないとまずは自信をつけることから始めた。

 

テクニカルなことより、まずは「学ぶ姿勢」が大切だと気付いたから。張りぼてでも自信をもって、ここまで来たらやるしかないと割り切って、姿勢を作っていった。

 

それから、自分は書くことが大切だと気付いた。学校の勉強ができたのも、ノートを作って整理することが嫌いじゃなかったからだと思い出したのだ。それからは、その日良く出来たことと出来なかったことの「両方を」書き出している。

自分は基本、じめっとしたうじうじネガティブな人間だから、出来なかったことが山のように先に浮かんでくるのだ。

そればかり書いていくと、ノートにきのこが生えるんじゃないかというぐらいにうじうじ、じめじめしてしまう。

 

だから出来なかった事の数分だけ、出来たことを書いている。そうするとノートもカラッとして、きのこが生えなくなる。そして次の日も頑張ろうと明るい気持ちでベッドに入れる。

大体、全部ダメだったクラスなんてない。例えボロボロでも、言い方を変えれば出来ないことがわかったということで、それだけでもうクラスに価値はあるし、分かりやすい目標まで出来る。

捉え方次第で、気持ちは本当に変わるらしい。

 

・自分が楽しめることの重要性

今まではクラスを受ける前後の学び方の話だったが、クラス中ではどうか。

色んな人のクラスを受けていくうちに、この人の振り付けは身体に入るな、出来なかったけど楽しかったなとか、簡単なはずなのにこの人の振り付けは全然身体に入ってこないな、何か楽しくなかったなとか、だんだん分かれてきた。

それは自分だけじゃなくて、このクラスでは何故かみんなにウケたなとか、別のクラスではそうでもなかったというように、周りの反応も分かれてきたのに気がついた。

 

その共通点は、「自分が楽しんでいる時は、周りにもウケている。」という当たり前の事だった。

 

そりゃもちろん、嫌々やってるものなんか誰も見たくないし、楽しんでやっているのを見たらこちらも楽しくなるから当たり前といえば当たり前である。

じゃあ自分は何を楽しむのか、つまり「何が好きなのか!?」というのをずっと考えていた。なぜここまでマイケルジャクソンから始まって、他のアーティスト達に惹かれているのかを考えていた。

自分が好んで見ているものとは何かを考えていた。そして昨日ようやく、ミレニアムダンススタジオからの帰り、バス停に向かいながら考えていた時に答えが出た。

 

自分は「パフォーマンス」が好きだということ。こう考えた時に、全てが繋がった。確かにダンスのスキルにあまり興味を持ったことがなかったし、そのステップが出来るようになりたいとは思ったことがなかった。

インスタグラムで見る、クラスで撮られた振り付けのビデオより、チャーリーXCXがステージでめちゃくちゃに動き回っているのを見るのが好き。

だから、自分が「パフォーマンス」した時にウケたんだなと納得出来た。そこに「好き」があったから。「そうか、パフォーマンスすればいいのか!」そう思ったら、心がぱっと開けた。

 

ソーシャルメディアのマイナス面からの学び

最近ダンスクラスを受けると、なかなかの高確率で「今日はいつもと違って、ゆっくりした曲でやりまーす。最近のダンスクラスはストレスフルで堅苦しいから、今日は楽しもう。」的なイントロダクションで始まる。

「えー、いつものが好きで来たのに…。」とか思うし、クラスの終わりにはニッコニコだ。そのストレスフルで堅苦しいと言うクラスに限って、先生から選ばれたりする。やっぱり自分もリラックスが必要だったのかも知れない。

で、何でそんなストレスフルなのかというと、それはソーシャルメディアにあると思う。今ではインスタグラムの検索の欄に、デフォルトでダンスがカテゴリーとして出てくる。そこには毎日凄い数投稿されるダンスビデオが載っている。

 

ダンスをしてなくても、ビデオを見た事がある人は多いんじゃないかと思う。そのビデオのために、クラスの後半は先生が一人で踊ったり、生徒の中から何人か選んで踊ったりするところをカメラに収める。自分としては、動画に写りたいというよりは、どんな人が選ばれていて、その人達なりの踊りをしっかり観れるから、それが勉強と答え合わせになる。

これはあくまで学ぶことがゴールで、ビデオはその手段だと思うのだが、中にはビデオに写ることがゴールとする人も少なくない。そうなるとクラスの雰囲気もかなり変わってくるし、学び合いというより闘いの場みたいになってくるように感じる。先生達が言うストレスとは、そういう背景からきているのだ。

今ではダンスだけじゃなくて、ファッションやアート全般、飲食などもソーシャルメディアに大きく左右されている。それもビジネスの一部だから否定をする気はないし、良し悪しだと思う。手の平には沢山の情報があって、調べようと思えば何だって知れる。

 

情報が沢山ありすぎて、嘘か本当かすら分からなくなる時もある。それで、気付いたらインスタグラムを開いている自分がいる。

 

そんな環境にいて、考え始めたことがある。これはまだ答えを見つけていないんだけれど、自分は学びを見つける時に、多くの情報を摂取した方が沢山の学びを得られるのか、絞った情報を摂取した方が効率よく学びを得られるのか、ということだ。

これはきっと両方試してみないと分からないから、自分にあったものを見つけるは時間が必要だと思う。

だけど日本にいる時はこんなことすら考えず、ソーシャルメディアをあさっていたように思う。これも、この環境が考えさせてくれたことの一つとして、この記事でシェアしたかった。

 

そして、そんなダンスクラスの中でも、ただ振り付けをリラックスさせるんじゃなくて、しっかりと言葉で、大切なことを思い出させてくれるダンサーもいた。ナタリーギルモアという、ジャスティンティンバーレイクなどの大物アーティストのバックダンサーを務めたダンサーだ。

もちろん凄くスキルがあるし、何でも出来るダンサーである。クラスはいつも明るくて、彼女がポジティブなバイブスで全ての人を巻き込んでいくような人。

その笑顔とジョークの間に彼女のストイックさが伺える、優しくもカッコいい人だと思う。彼女のクラスを受けた時、彼女が良くみんなに伝えるメッセージが以下のようなものだ。

 

「みんなはこの短い1時間半の時間の中で、長い振り付けを覚えて、そして音楽を理解して組み合わせるっていう凄く高度なことをやっているの。
普通ツアーとかショーであれば、最低でも数時間、数ヶ月のリハーサルがあるもの。だから間違えを恐れないで。クラスは間違えから学ぶ場所だから。自分に厳しくし過ぎないことも、凄く大切なことよ。
これを思い出させてくれる人ばかりじゃないから、このことをしっかり自分で思い出さないといけないよ。」

 

これはダンサーみんな、特に日本のダンサーに凄く必要なマインドだなと思った。日本で数回クラスを受けた時に、「失敗する」ことがいけない空気だったのを覚えている。「楽しむ」という空気感もあまり無かった。だから、このメッセージは今の自分に凄く響いた。

自分の周りでも、自分自身を追い詰め過ぎてダンスから離れてしまう人を何人も見てきた。辞めてしまったら元も子もないし、上手くなるには続けるしかない。

どうやって自分のモチベーションを高く保つのかも大切なんだなと痛感させてもらった。皆さんロサンゼルスにダンスを目的で来た際は、是非彼女のクラスを受けて欲しい。

 

元ハウスメイトから学んだこと

以前もお伝えしたように、自分はシェアハウス滞在をしている。ハウスメイトは全員日本人で、ダンスをやってる人や仕事でロサンゼルスに来ている人と、タイプも全然違う人達と一緒に、テラスハウスとは真逆のような家に住んでいる。

つい先日、自分が住み出した頃から一緒だった歳上の男の子が家を出て行った。どうやら今度は新しいシェアハウスのオーナーになるらしかった。彼の引っ越し先は割と近所なので、特に大きな「さよなら」は言わずに、近くのマクドナルドに行くようなテンションで彼は家を出た。

そうしたら一昨日、彼が食べ飽きたと言っていたマクドナルドのハンバーガーを持って、家に鍵を返しに来た。不思議なもので一緒に住まなくなったら、もっとお互いのことに目を向けられるようになるらしい。彼の新しい家のことが思ったより大変だとか、最近学校がどうだとか、1時間近く話をした。

 

その中で、「話が盛り上がらない人」の話になった。「何であんなにキャッチボールにならないんだろう、あれじゃ会話のバッティングだよ。」なんて言っていたら、彼が「フォーカスを自分に向ければいい。」とぽつり。

「どういうこと?」と詳しく聞いてみると、”相手が”ボールを投げ返してくれないじゃなくて、”自分が”どんな風にボールを投げればいいのかを考えること。なるほど。それって全てに当てはまるかもな。

対人関係もそうだし、環境もそう。何をしたって自分の力で天気を変えられないのと同じで、その天気を自分が楽しむしかないのだ。

 

色んなことに腹を立てたりイライラしたりするのって、やっぱり損をしてるんだ。意思をもって行動するのと、無理矢理コントロールしようとするのは違うことで、たまには流れに任せてみることも大切。

 

そういえば、気ままな彼の気分で時間を過ごしている時って、自分が思ったようにいかないけど、その分予想外の笑いに出会っていた。分かっていたようで、実は忘れていた大切なことだった。あー、気付いて良かった。

やっぱり、こっちに来ている人達って面白いと思う。それぞれ違ったバックグラウンドがあって、日本ではそれを話さないかも知れないけれど、こっちだとあっさり話したりする。と言うか話さざるを得なかったりもする。

それは場所がそうさせるのか、それともオープンな人が多いのか、それは分からないけど、なるほどと思わせてくれる人達が多い。

 

ダンサーの先輩から学んだこと

先輩ってどうしてあんなにかっこいいんだろう。部活、バイト先、仕事先、これを読んでいる人も、いつも沢山の先輩にお世話になっているはず。自分も先輩に恵まれてきていると思う。

小学校三年生の時に始めた、柔道の先輩。アメリカの高校での先輩。日本でのバイト先の先輩。どこにいてもいい先輩に助けてもらってきた。これだけは本当に運がいいと思うし、凄く感謝してる。

だけどここロサンゼルスに来る時は、少し不安だったところも正直あった。知ってる人はいないし、かと言って日本人とばかり付き合うのはな…、とか考え出すと不安になるから考えないようにしていた。

 

そしたら本当に運がいいことに、とあるプロジェクトに渡米直後から参加させてもらい、そこでロサンゼルスに住む日本人の素敵な先輩達に出会うことができた。自分もいい先輩になりたいなぁ、ならないとなぁとつくづく思う。

その先輩達の中で、特にお世話になっている人がいる。その方はロサンゼルスでプロダンサーとして活躍している人で、沢山経験を積んできた人。

 

特にアシストするのが本当に上手で、何がその状況に足りないかを見て、その穴を瞬時に埋めて対応していく姿は、本当にいつも学ばせてもらっている。

 

どうやったらそんな目が開けて、気が配れるのか凄く知りたくて、「日本でどんなバイトしてたんですか?」とか「学校ではどんな生徒だったんですか?」とか色んなことを聞いて、そのヒントを探ろうとしていた時のこと。

ある日その先輩と午後に会う約束をしていたので、「じゃあ、午前中の空いている時間に一人で美術館に行こう!」と、思い切って行動力を上げてダウンタウンにある美術館に行った。一通り見終わって、さぁ一度家に帰ろうと思ったら後ろから名前を呼ぶ声が。

そこにはこれから美術館に入ろうとしていた先輩がいたのであった。「今日は偶然、お互い全く同じスケジュールですね!」なんて言いながらその場で一度別れた。「そんな偶然ってあるんだなぁ…。」と思っていたら、どうやら同じ出来事がその先輩と、先輩の友達との間でも起こっていたことを後に聞いた。

 

それを聞いて、先輩の気配りの秘訣が少し分かった気がした。先輩は、長く一緒にいる人をよく観察して、耳を傾けて、マインドを合わせていっているんだなと気付いたのだ。

その弊害(!?)で、プライベートの日でも同じことを考えて、同じ場所に居合わせしまうなんて。

もうマインドを合わせるプロである。尊敬を軽く通り越して、最早怖さすら覚える。その才能を活かせているから、ダンサーとしてバックアップやアシストするのに重宝されているんだと思った。

 

海外留学での出会いを学びに活かす

ここまで沢山の学びをくれた場所や人について書いてきた。自分でも書きながら、あぁこの時こんな気持ちだったなとか、やっぱりあの人は凄いなとか、また時間を置くと考えることもあった。

そして、その時も今も変わらず思うのが、気付けてよかったということ。

 

学びとは、「気付くこと!」なんじゃないかなと気付いてしまった。

 

きっとどこに行っても何があっても、予想以上のことばかりだ。そこで半ば無理矢理でも意味を見つけて、「あぁなるほど、これはこうすればよかったんだ。」とか、「この人のここが凄いんだなぁ。」とか、少しでもいい方に捉えられたら、どこに行っても楽しく生きるコツなんじゃないかと思う。

特に海外の場では、日本で出会えないようなバックグラウンドの人達との交流があるし、外国人も含めると出会いの可能性は無限大で、そこから学ぶことも無限大だ。

しかし、考えるのをやめたら、学べないよなぁ…。「Don’t 思考停止」って、オードリー 若林も言ってたしな。

 

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